優しくはない私

お知らせ

「優しいね」とよく言われます。でも私は、自分のことを優しいとは
思っていません。

私にとっての「優しさ」って何だろう、と考えてみました。

まず、子連れの方にはとても優しくなります。多少の迷惑があっても、
「ドンマイ」とほほえましく思ってしまう。
だって私自身、たくさんの迷惑をかけながら子どもを育ててきたから。
そして、見知らぬたくさんの方から、ほほえみや優しさを
いただいてきたから。

その方たちに直接恩返しはできないけれど、次の世代に手渡していきたい。そう思うんです。
正直に言うと、この「〜してあげたい」という気持ちは、
ちょっと恩着せがましいのかもしれません。でも見返りはいりません。
もう、十分にいただいてきたので。

もうひとつ。過去に私自身が経験したことを、今まさに
一生懸命がんばっている方にも、優しくなります。
本当は手を差し伸べたい。でも、それが相手の力を見くびることに
なったら申し訳ない。だから頼られるまでは黙っています。
ただ、「いつでも声をかけてね。お手伝いできることはしたいから」と、
ひとことだけ伝えておく。
これは、相手のためであると同時に、自分のための優しさでもあるの
かもしれません。

では、私が「優しくない」と感じるのはどんなときか。

答えはシンプルで、何度伝えても聞く耳を持たない相手に対してです。

最初は、手を変え品を変え、伝えようとします。それでも聞かない、
変わらないとわかったら――
もう、その人のために自分の時間を使いたいとは思いません。

変わる気のない相手に一生懸命向き合っても、それは無駄でしかない。
私にとって「無駄」とは「意味のない、余計なこと」。だから、
意味のないことはしたくないんです。

聞かない、変わらない人がその後どうなろうと、
正直、知ったことではありません。さじを投げます。
その代わりに、自分自身に優しさを向けて、
自分を優先することにしています。

そう考えると、私は自分の優しさを、自分で選んで使っているんだな、
とわかります。つまり、自分の心をコントロールしているということ。

でも、気をつけたいのは――それを無意識に使ってしまうとき。
「〜してあげる」は一見優しさに見えて、実は「余計なお世話」に
なっていることもあります。

そこは、これからも気をつけていきたいと思っています。
(画像:生成AI作成)

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