昔、ある団体に所属していた頃の話です。
立場が上がるにつれて、任される仕事はどんどん増えていきました。
数年間、その役割をこなすために、
毎日必死に頑張っていた時期があります。
けれど、その頑張りに対して返ってきたのは、
認める言葉ではありませんでした。
「あの子には、まだ適当なことしかできない」
「あの子のやることは、まだまだきちんとできていない」
そんな言葉を、何度も聞かされる時期がありました。
不思議なことに、当時の私はそれを「確かにそうだ」と受け止めていたのです。私が担当していた人たちからは、実際には高い評価を得て、
ちゃんと結果を出していました。それでも、なかなか認めてもらえない。
理由はいつも「経験が足りないから」「まだ若いから」というものでした。
それすらも、私は納得していました。「これも経験のうち。
先輩たちがいろいろ教えてくれているんだ」と、
自分にそう言い聞かせていたのです。
頑張っているという自覚すら、当時はありませんでした。
そんな中、私が指導して結果を出した人たちから、
重人がこんなふうに言っていたと後から知りました。
「あの人は、一人で人気者になろうとしている」
「あの人は、適当なことを教えている」
一生懸命やっていたつもりのことが、まったく違う形で伝わっていたのだと知った瞬間でした。受け手の声には耳を貸してもらえず、
ただ「自分のポジションを脅かす存在」として
扱われていたのかもしれません。
時間が経って、ようやく気がついたことがあります。
私は、頑張っていないつもりで、実はずっと頑張っていたのだということ。
なぜ、あそこまで頑張れたのか。
今振り返ると、答えははっきりしています。
素晴らしくて、希望のある、お手本にしたいと思える先輩たちがいて、
そんな場所に自分が関わらせてもらえていることが、
単純に嬉しかったからです。その気持ちがあったからこそ、
認めてもらえない日々にも耐えられていたのだと思います。
あれから、もう10年ほど経ちます。
けれど今は、その組織の中で見えていなかった部分――お手本だと思っていた人たちの、また違う一面が見えてきてしまいました。
だから今は、必要最低限の関わりだけを残して、頑張りすぎずに、
少しずつそこから離れていこうと考えています。
今になって思うのは、もしかしたら「頑張っていることに気づかないまま」でいたほうが、幸せだったのかもしれない、ということです。
気づいてしまうと、これまでの自分の頑張りが、
報われなかった時間として重く感じられてしまうこともあるからです。
それでも、気づいてしまった今の私は、
これから先の生き方を選び直すことができます。
自分の時間を大切にするために、我慢することを、
もうやめようと思います。
(画像:生成AI作成)

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